そして・・・最後の日

2日続けて休んでしまいました。
今日から再開です。

今日はソフトの話です。
3月15日は僕と息子の子供会ソフトボール生活最後の日。
この日をお祝いするかのように前日まで降り続いた雨は上がり、
春の日としては少し寒かったけど、絶好のソフトボール日よりでした。

最後の日としては相応しい最高の舞台。
我が北条レッドファイターズが設立した堺中央リーグのファイナルカップです。
全部で12チームの参加、予選リーグは3チームで総当りを行いました。

予選リーグの対戦相手には6年生のいないチームも含まれていたので
2試合のうちの1試合は我がチームの6年生を参加させずに挑みました。
来年のことを思っての意味もあるのですが、
やはり最後の大会、全員でこの大会の優勝を飾りたかったので
最後の日に試合に出たい6年生をなだめ、
また、5年生以下には1次予選で敗退すると決勝リーグに出ることが出来ず、
「6年生最後の日が予選敗退で終了」というプレッシャーを
わざと与えて子供たちに試合に挑んでもらいました。

1試合目、5年生以下のメンバーとベンチの6年生が一体になって戦った試合は
20-0のノーヒットノーランで勝利を収めることが出来ました。
5年生以下のメンバーがイマイチ消極的だったことが気にかかっていた僕は
この試合で彼らが積極的に勝利に向かう姿勢に胸が一杯になりました。

2試合目、満を持して6年生の登場です。
この試合の先発ピッチャーは6年生の2番手ピッチャー。
球速はそこそこあるものの、練習を始めた時期が遅いのと
試合経験が少なくて最後までコントロールの定まらなかったピッチャーです。
案の定、初回からフォアボールの連続。
それでも何とか初回をゼロに抑えてその裏、味方は大量得点。
このままスイスイと行くかに思えたのですが、
大量リードにも関わらず、相変わらず不安定なピッチング。
それでもフォアボールとワイルドピッチで1点は取られたものの、
6年生の打棒が爆発し、投げてはノーヒットピッチングで11-1の勝利。

昼からの決勝トーナメント。
準決勝の相手は最後に絶対に戦いたいと思っていた梅町リューズ。
このチームの監督はなんと元日本リーガー。
現在でも関西学生ソフトボールリーグ1部に属するチームの現役監督で
ニュージーランドの大学生選抜チームの役員なども勤める
ソフトボールではエリート中のエリート。
僕の弟と高校時代に同じチームでソフトボールをやっていたこともあって
大変交流が深いし、今でも本当にお世話になっている人間であり、
チームの子供たちとうちの子供たちも本当に仲の良い関係なのです。
最後の日に戦うには相応しい相手です。
このチームとはいつも緊迫した試合になります。
梅町リューズはは5年生以下の新チーム。
試合は相手の5年生エースとこの日初めての登板の我がチームの怪物君の
投手戦で進んでいきました。
結果はラッキーもあって3-1で何とか勝利。
怪物君11奪三振のノーヒットピッチング。

決勝戦の相手は隣町の日新というチーム。
僕は集合した子供たちを前に最後の試合のメンバー表を読み上げようとしました。
いつもは子供たちの顔を見ながらメンバー表を読み上げるのですが、
この日は子供たちの顔を見ることなく、下を向いてメンバー表を見て読み上げました。
1番・・・センター・・・りく。
2番・・・セカンド・・・・・・りょーや。
最後のメンバーコールを一人一人噛み締めながら読み上げました。
3番・・・・ピッチャー・・・・・・・・じゅんぺー。
4番・・・・・・・・・・・・・
ここは息子の打順だったのですが、もうこの何年かのいろんな思いがこみ上げてきて
メンバーを読み上げることが出来なくなりました。
それでも何とか最後まで読み上げて
「さあ、これで最後や、思い切って楽しんで来いっ!!!」
いつものようにメンバーを送り出しました。

相手チームの6年生エースは練習熱心で我がチームの平日練習にも
総監督のピッチング指導を受けるために参加していたメンバーで
うちのメンバーとも交流の深いメンバーです。
うちの怪物君、この日の最速は準決勝で記録した90km/h。
でも、日新の6年生ピッチャーも同じぐらいの球速でした。
2人とも最後のソフトボールの試合ということもあって気合十分。
試合はお互いヒットのないまま進んでいきました。

3回裏、6年生の1番バッターが最後の打席で内野安打で出塁。
そしてすかさず盗塁。
するとこの場面で相手キャッチャーの投じた球が悪送球になって
センターの横をすり抜けて行く間に俊足の1番バッターがホームイン。
毎度の事ながら貧打のうちのチームにはこの得点パターンしかありません。
これでなんとか1-0の勝ち越し。
続く2番バッター、この子は最後まで僕を悩ませた子です。
試合の当日の朝になって行方不明になること数回・・・
みんなで走り回って探し回ったこと、
天岩戸に引きこもる天照大神のごとく自宅に閉じこもったこと・・
みんなで家に行って無理やり布団の中から引きずり出して試合につれてきたこともありました。
この日までの打率は1割弱。
でも、最後の日は何とか相手の好エースからヒットを打って欲しい、
本人もヒットを打ちたい、という思いが打席から迸ってたのだけれども・・・
残念ながら相手投手の気迫が勝ち、三振に倒れました。
ここで3アウトチェンジ。
2番バッター、セカンドの守備に就いてからも涙が止まることはありませんでした。

その次のイニング。
怪物君、相変わらずの怪物ぶり。
相手バッターをバンバンと三振に取り、このイニングも3者凡退。
その裏のイニング、我がチームは6年生の上位打線に打順がめぐってきました。
彼らには小学生のソフトボール最後の打席。
「とにかく思いっきり行って来い!!最後の打席、楽しんで来い!!!」
3番バッターの怪物君、ショートゴロで1アウト。
そして4番バッターのうちの息子の最後の打席。
前の打席、4番らしく思いっきり振ったにも関わらず三振。
この打席、何が何でも気合十分。
1球目ボールの後、フルスイングの空振りとファウル、
そして運命の2-1からの4球目・・・
相手ピッチャーの投じたスピードボールは息子の太ももにドスン!!
死球数トップのうちの息子に相応しい最後の打席になりました。

そして5番バッター。
この6年生は非常に器用だけど大人しさが災いしてか、
秋頃までの好調さが鳴りを潜めて最近はバットにすら当たらない絶不調。
それでも何とか執念でライト前へと飛んだ打球は相手ライトの前で1バウンド。
しかし、そこは子供ソフトの狭いフィールド、
右翼手の投じたボールはファーストのミットに収まって間一髪のアウト。
大人しいこの子が見せたファーストへのヘッドスライディングが印象的でした。
この後、相手ピッチャーのファーストへの悪送球でさらに1点追加。
試合は2-0。
7番バッターの打席で時間切れ試合終了となりました。

この大会は5イニング50分の時間制。
ちょっとあっけない終わり方でした。
おまけにタイムキーパーがいなくて、時間を計っていたのが我がチームで
タイムアップを僕自身が審判に告げるという、ちょっと味気ない終わり方になってしまいました。

もし、最後の5回までやっていたら相手チームの攻撃はエースの6年生からの打順。
エラーで不運な失点はあったものの、この日は多分今までで最高のピッチング。
今から考えたら、最後までやらせてあげればよかったです。

結局怪物君、この試合もノーヒットノーラン。
最後の日は2試合でノーヒットピッチング。
予選リーグから含めるとこの日の我がチームの投手陣は被安打ゼロ。
投手出身の私には最高の締めくくりとなりました。
最後の大会は子供たちが優勝をプレゼントしてくれました。

表彰式が終わってから梅町リューズの監督が記念撮影をしてくれて
子供たちにお話をしてくださいました。
ものすごく温かい言葉で本当に嬉しかったです。

グランドで子供たち一人一人とゆっくり言葉を交わしたかったけど
試合が終わってから卒団式の時間が迫っているので、
あわただしく道具を片付けて卒団式の会場に向かいました。

会場は地元の焼き肉ぎゅあん。
大広間で父兄を含めて50人超の参加者。
食べ放題、飲み放題なのでおなかいっぱい食べて飲みました。
最後の日なので遠慮なく飲みました。
おかげで卒団式前にぐでんぐでん。
しっかりとしゃべったつもりやったけど、何を喋ったのかはあまり覚えてません。
でも、普段あまり言葉を交わすことのない数人のお母さんが泣きながら
「本当に監督の元でソフトボールをやらせて良かった」
といってくれた時には僕も涙が出ました。
僕と母親代表のうちの嫁に花を贈呈された時には嫁も大泣きしてました。

僕は関係各所の反対を押し切って堺市以外の大会にたくさん連れて行ったので
周囲とは色々とあったけど、ほんっまに楽しかったです。
この1年間、協力してくださった父兄の皆様、総監督を含めコーチの方々、
上の娘が受験にもかかわらず頑張ったうちの嫁さん、
毎日、家での会話がソフトボール一色になったにもかかわらず我慢した今年受験の娘。
そして何よりも僕にたくさんの感動を与えてくれた子供たち。
本当に本当にありがとう。
みんなのおかげで僕は最高の1年を送ることが出来ました。
最後は僕のいつもの言葉で締めくくります。

みんな、ソフトボール楽しかった?