もしかして俺はなーんも知らんのかも?

ほんまに、ほんまに情けないことやけど、僕らはなんも知らない。
正確に言えば知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多い。

知らないにもかかわらず、必ず判断しようとする。
それは事実に基づいた判断力ではなく「こうであるに違いない」という感情論で判断する。
残念ながら思い込みに過ぎない。
たちの悪いことに思い込みの判断力は強力で、事実をも駆逐してしまう。

自分にとって事実に基づいていない居心地のいい言葉は大事で
耳の痛い事実に対しては受け入れようとはしない。

そんなことを続けているから何年生きてもアホのまま。
知らないことを新たに知ってこそ経験値になるのに、
経験値を積まないまま年月を無駄に過ごしてしまう。

ほんまに恐ろしいことや。
無茶無茶恐ろしいことや。

僕は長い間生きてきて、人の言葉には素直に耳を傾けてきたかと言えばそうでもない。
教えてくれる人に対して全霊を開いていたかと言えばそうではない。

残念ながら無駄にしてしまった時間は多いかもしれない。

しつこいようやけど清原の話。

>遠征先では毎晩のように豪快に飲み歩き、
>チーム内で若手の模範となるどころか秩序を乱す存在となっていた。

>これに歯止めをかけようとしたのが、2004年に巨人監督に就任した堀内恒夫氏(現参議院議員)だ。
>その堀内監督はチーム内で“ガン”となっていた清原軍団を解散させるべく、
>まずはリーダー・清原のイメージ改革に乗り出し、就任早々から報道陣に「清原を『番長』と呼ぶな」と訴えた。
>そして逆にこれが清原との軋轢(あつれき)を深めることにつながり、両者の関係は修復不可能な状態へと向かってしまうことになる。
>こうしたゴタゴタがありながらも居残ったことで、その後の清原はますます巨人にとって手が付けられない「番長」となっていく。2
>2005年8月4日に広島市民球場で行われた広島戦では前代未聞の騒動も引き起こす。
>試合前に打順が7番であることを当時の山本功児ヘッドコーチから伝えられた清原は納得せずに激怒。
>そして試合では4回に本塁打を放ち、ベンチ前で迎えた堀内監督や選手、コーチの出迎えを“完全スルー”。
>これが、あの「ハイタッチ拒否事件」の一部始終だ。
>ちなみに、この時の清原は球団広報を通じて「怒りの一発や!」とのコメントを口にしている。
>チームは崩壊の一途をたどっていった。

この時でも報道は「男、清原」みたいな報道してたし、「堀内=悪」みたいな空気も植え付けられていたよな。

僕らはね、それぐらい判断力に乏しい人間。
噂話に左右され、いつでも事実よりも感情を大切にし、正しい情報を提供してくれる人をないがしろにする。

だから、いつまでも阿呆のまま。

だから、それに気が付いている少しだけ賢い人に後れをとる。

とりあえず、自分が「どんだけ知らないか」を知ってみよう。
もしかして辛うじて教えてくれる人も残っているはず。

それもせんとまだアホみたいに高みの見物できる幸せな人はそれはそれでええんやと思います。
そのままでいてください。

でも、一生懸命、変わろうとしている人の邪魔はお願いだからしないでね。