「今年はミカンないの?」
すいません・・・・
今年はミカンありません
皆さんにたくさんのお土産を戴いておきながら
今年は持って帰っていただくものがありません。
ミカンだけでなく、桃ジュースも製造取り止め。
なんかエエもん、探しておきます。
今年もあと3日でおわり・・・
TAX泉北は明日の午前中で今年の営業を終わります。
皆さん、今年もお世話になりました。
もう、あっという間です。
今年に当たってはいろんなテーマがありました。
もちろん、仕事ではたくさんのテーマがありました。
でも、仕事以外でもたくさんのテーマがありました。
一つは健康のこと。
一昨年、病院でメタボじゃないけど
ある部分の不調を診断されて以来、
健康に留意すべく、休肝日を作ることを決意したものの、
今年飲まなかった日は多分ひと桁台(10日以内ってことね)
時間かけてちょっとずつ体を悪くして言っている様な物です。
来年こそはゴムまりのような弾ける体に戻したいものです。
最近・・・
若い人たちにいろんな事を感じていたんだけど、
友達のブログを見て
「ああ、感じていたのはこれや」
と、気がつきました。
ある1行の文章を見て気がついたのですが、その文章とはあるスポーツの指導者の文章で
「夢に向かっていく、情熱を持った人間が少なくなった」
「コーチ自身がサラリーマン化して、コーチを仕事の一環として割り切り、
黙々とノルマをこなしているように見える。
一方、選手のほうも泳ぐことの楽しさや喜びを味わうよりも、
淡々と練習をこなし、試合に出ることを学校のクラブの延長として思っているように感じる・・」
こういう文章を見ました。
僕が感じていた違和感はまさにコレです。
「面白くない」と毎日感じていても、
「面白い」ことを「面白い」と感じられない。
人に与えられたことは「面白くない」
でも、自分で「面白い」ということを感じようとしない。
どんなことをしても「面白い」と感じられなくなっているんでしょうね。
これはまさしくテレビ、ラジオ、ネットなど、
「面白い」「面白くない」の判断が受動的で
自分から「面白い」ものを作り出そうとする習慣がなくなってきたことにあると思うのです。
このまま行くとどうなるんやろう?
何しても「面白くない」
だから「一生懸命やらない」
そうなると面白みがますます「分からない」
全てのことに興味がなくなっていきます。
今の若い人たちは車に興味がないと言います。
「美味しい物を食べることに興味を感じる」
これも、ある一定以上の年齢層の人に限られます。
そのうちスポーツに興味を示す人が少なくなります。
仕事に興味を感じられる人はごく一部になります。
友達などとコミュニケーションをとる手段に労力を注ぐばかりで
「稼ぐこと」「試合に勝つこと」への興味は薄れていきます。
だとしたらどうなるんやろう?
僕たちが今まで思ってきた常識自体が常識でなくなり、
頑張る人が報われない時代が来るとしたら、
世の中に頑張る人がいなくなる。
「やらなしゃーない」からやる人ばかりになる。
そうなると結果を求めなくなるから、「面白い」ことが世の中から少なくなる。
お金は何のために稼ぐんやろう?
生活するため?
もちろんそうやな。
でも、「美味いもんも喰いたくない」「良い車に乗りたくない」「家も欲しくない」
こんな時代が来たらどうなるんやろう?
世の中の人がいろんな事に興味がなくなったらどうなるんやろう?
小説家がいなくなって評論家ばかりになったらどうなるんやろう?
「面白いことは人から与えられて当たり前」と思っているのに
その「与える人」が世の中から消える・・・
これは嘆かわしいことですわ・・・
だから、ちょっと興味を持つことから始めよう。
「おもんない」
経験したこともないのにそう決め付けるのはやめよう。
傍から見てたら「面白くない」と思っていることでも
自分でやれば「面白い」こともいっぱいあるかも知れんから。