多分、僕は今でも成長してないと思う。

箱根駅伝終わったな。

3位でゴールの青山学院の原監督、「全部自分のせい」やと。

優勝した駒大エースの田沢は大八木弘明監督に対して

「最高の指導者だった。感謝しかないです。父親みたいな存在」

サッカーワールドカップの森脇監督

選手には皆、心があると思ってますし、

監督は選手の心を預かる仕事

選手はロボットではない。

試合に出るために、日々努力をしてくれている。

その心があるということを忘れてはいけない。

こういう監督の談話などを聞くたびに苦い思い出がこみ上げる。

15年ぐらい前に子供会のソフトボールチームの監督をしていた時の事。

レッドヴィッキーズ(わからんか)みたいなでこぼこのチームやった。

守ってはフォアボール、エラーの連発。

打ってはバットにかすりもしない。

僕は大人のコーチがギャアギャア言いながらソフトボールをさせるのは嫌いやった。

楽しみながら、それでも勝つことを目的として練習に取り組んだ。

子供ってすごい。

わずか半年で大阪でも有数のチームとまともな試合ができるようになった。

秋口に出場した近畿大会。

その年の大阪で優勝したチーム相手に最終回まで1点リード。

勝利目前の場面で先頭打者の打球をエラー。

子供たちは顔面蒼白。

エエで、大丈夫やで。

と、声をかけ続ける僕自身がテンパッてたんやろう。

やらんでいいのにバッテリーに細かい指示。

その指示は子供たちにさらなる緊張を与えた。

ミスしたらどうしよう。。

そんな心理状態やったと思う。

ただでさえプレッシャーに弱いキャッチャーの息子。

その場面でパスボール二つ連続。

僕も普段通りやなかったんやろうな。

ミスをした息子に怒鳴ってしまった。

他の子に怒鳴らんと息子に怒鳴るってことは

息子やったら許されるやろうという甘えや。

試合は逆転負け。

試合後のミーティング。

今日はホンマにごめん。

でもようやった。

で、僕は号泣。

すると子供たちも全員号泣。

お母さんたちも号泣。

楽しいはずのソフトボールが悲しいソフトボールになってしまった。

あれから15年・・・

今でもメチャメチャ後悔している。

プレーするのは自分ではなくて子供たち。

あの時の僕は自分が満足出来なかったので怒鳴ってしまった。

ホンマに最低や。

勝てたら良かったんやけど、あそこまでやれたら負けても十分やった。

勝ち負けを通して得る経験と楽しむことが大事やった。

僕はあくまでも監督。

チームは子供たちのもの。

主役は選手である子供たち。

思いっきりプレーさせてあげることが大切やった。

今でもずっと勘違いをしているんやないやろうか・・・・

これからは一切の後悔をしたくない。