つくづく・・・言葉って大事やな。

早速、今日から実践してみた。
いきなりすべてが行動に移せるわけじゃない。
いきなり僕が180度変われるわけじゃない。
でも、今日は今までよりも意識して、発言し、行動した。
おかげで少しだけやけどここ数ヶ月のもやもやが少し吹っ切れたような気がした。
徐々にやけど変わって行ければ・・と思う

言葉は人に感動を与えることもあるけど、その逆もあるよね。
典型的なパターンかどうかは分からないけどうまく行かない例がコレ↓
それは自分の事故のケガの保障の交渉。
前の担当者との交渉がどうもギクシャクするので担当を変わってもらったんだけど、
これがまた、以前の担当者との交渉に輪を掛けてうまく行かない。
交渉の家庭をここの場で公開しようとしたけど、
こういうところで書いてもどうしても自分よりの言葉になってしまうのと、
震災が起こった今、ちいちゃな事でうだうだ書くのは
適切ではないと判断したので交渉の内容の事を書くのはやめた。

今日はその事を書くのではなくてなんでうまく行かないのかを自分なりに考えてみた。
担当が替わってもどうしてうまく話が進まないのであろう。
示談の具体的な内容を提示されてもいないのに、
あるいは示談したとしても、平均的な金額よりはずっと低い額なのにも関わらず、
どうして担当者に高圧的な態度をとられて、
こちらから「スイマセン」「申し訳ありません」となんど謝っても
言葉尻を捉えられ、少しでもこちらの言い分を主張しようとすると
「それなら第三者に判断してもらいます」
「今回の申し出にしたがっていただかなければ文書で通知を出します」
なんて脅迫めいた言葉を被害者の僕が言われなければならないのであろう?

それは保険会社の担当の最後の言葉に気付かされた。
僕「なんで前の担当者もあなたもそんな態度をとるの?
もしかして何かの先入観にとらわれて話をしているのか、
それとも私の話し方があなた方をそのような頑なな態度にさせるのか?」
担当者「それなら正直に言いますけど、前の担当者と私の態度がYOSHIさんに不快と感じさせるなら、
そうなる原因はYOSHIさんご自身がご判断ください」

ガッビーン!!

そうか!!!
僕の話し方が悪かったんや!!!!
(東京の人と関西の僕とのニュアンスの違いはあるかも知れんけど)

僕は今回の事故の関しては自分が被害者と思うばかりに、
医者と保険会社の思惑で転院を許されないと思い込むばかりに
「なんでわからへんねん」
こういう感情でずっと喋っていた。
被害者として当然受けられるべきサポートを受けられないと思い込んでいた。
僕は仕事柄あらゆる保険会社と交渉をすることがあって、
自分自身で保険会社の平均像を勝手に決め込んでいたけど、
今回の担当の人たちにとっては平均などという常識は関係なくて、
自社の正義の中で精一杯のことをするのがスタンスだったのだ。

まあ、冷静に考えたら
「怪我さされてなんでこんな目に合わされなあかんねん」と思うけど、
彼らのルールに従ってその上で気持ちよく彼らからアドバイスを受けられるようにする心がけも必要だったかな?と。

1人で勝手に傷ついて、不快な気持ちにさせられ気になっていたけど、それは相手も同じこと。
相手の気持ちを慮ることを忘れていたような気がする。

それを今回の若い担当者がこのオッサンに勇気を出して教えてくれた。
「はい、私、感情的になってます」
企業に勤める人がその企業の代表としてリスクをしょって発言するのだから
当たり障りのない言葉を言いそうなもんだけど、
今回の発言はすごく素直と言うか、ピュアというか、
僕にとっては逆風な状況なんだけど彼の言葉に尊敬の感情さえ覚えた。

最後にその気持ちを素直に伝えたら
「すいません、こちらも言い過ぎました」
って言ってくれた。

僕なんかまだまだド素人。
なんかな、このトシになっても毎日、気付かされるよな。
やっぱり言葉って大事やな。