好きこそものの上手なれ

中学校1年生の息子は少年野球をやっている。
彼を見ていると色々と考えさせられる事が多い。

彼のチームは1年生だけで約30人の大所帯。
試合は学年ごとに分かれているため、チームは1年生だけで構成されいる。
だから、その中でレギュラー争いをすることになる。

ポジションはキャッチャーなのだが、ソフトボール出身の彼は
野球出身の子供たちが多い中で、まだ正捕手ではない。

でも、そんな彼でも練習試合などは出場のチャンスがめぐってくる。
彼がレギュラーになるためには数少ないチャンスを生かさなければならないのだが、
技術が伴っていないのか、それともプレッシャーに弱いのか、
メンバーや首脳陣に印象付けるようなプレーが出来ないことも多い。

親としては試合に出られなかったら出られないで切ない思いをすることも多いし、
出たら出たで、彼のプレーに歯がゆい思いをすることも多い。

落ち込んでいる彼が不憫に見えて、今までは
「何をすべきか」「どうするべきか」「どう伝えたらいいのか」
そういう思いから出てくる考えを彼と色々な話しをした。
少しでも「彼が元気になれば」「上達すれば」という思いで話をした。

しかし、最近、そういう行為が間違っているかも知れないと思うようになってきた。
考えたら、まだ中学1年生。
大人のようなプレーをする子はたくさんいるけど、発展途上の子供もたくさんいる。

息子が肉体的にも精神的にも成長段階の途中にも関わらず、
「出来ることは良いことで、出来ないことは良くない事」
こんな勝手な親の感情で物事を判断していることに気が付いた。

どうしても良いプレーが出来ている子が光って見えてしまう。
それは子供もきっと同じであろう。
でも、息子は僕の遺伝子を受け継いでいる。
今の時期に器用にこなせるはずはない。
プレッシャーに強いはずもない。

彼にあったアドバイスをしているつもりでも
「どうしたら出来るか」「やるにはどうしたらいいか」
結局は「良いプレー」を基準において物事をいい続けている。
裏返せば「何で出来ないの?」「何でやらないの?」
「こうあってほしい」という感情でモノを言い続けている。

こんなことがずっと続くとどうなるんやろう?
「結果が出ない自分はダメなヤツ」と感じるだろう。
もしかしたら自信がなくなって野球が嫌いになってしまうかもしれない。

スポーツでも仕事でも「自分で上手くなりたい」と思って練習すれば上手くなると思う。
そうすれば、成長段階では昨日よりも今日、去年よりも今年の方が上手くなっていると思う。

あまりにうるさく言い過ぎると、そんな向上心を摘み取ってしまうことだろう。
今の時期、楽しくやることが一番。
結果よりも楽しいことが大切。
好きであることが大切。
難しいけど結果が出ても出なくても気にしないでおこう。
本人が助けを求めてきた時だけアドバイスすることにしよう。

あー、去年1年間、子供チームの監督やってきてなんでこんなことに気が付かなかったんやろう??

好きこそ物の上手なれ