幸せのハードル

エライ大げさなタイトルやけど大した事書きません

ソフトのことを書くとつい熱くなってしまう。
昨日の記事は1時間以上かかった。
他の記事なら書いたあと「はぁー、疲れた」と言って寝るのだが、
ソフトの記事は何度も読み返してしまう。
自分で書いた記事を読んでいると、反省もたくさんある
あそこでああしていたら・・・・興奮が甦ってくる。
夜中に自分で書いた記事を読んで興奮して眠れなくなる。
ほんま、ソフトはエエです。
仕事にしたいぐらいです。

好きなことを仕事に出来る人はすごく幸せだと思います。
毎日が楽しくて仕方がないと思います。
多分?スポーツの選手なんかはそうなんでしょう。
飲食店を経営したかった人がレストランをオープンすれば楽しいのだと思います。
「学校の先生になりたい」
そう思って先生に実際になれた人は楽しいのだと思います。
小さい頃からあこがれていたスチュワーデスになれた人は楽しいのだと思います。
看護士さんになりたくてなった人は楽しいのだと思います。
「いい音楽を作りたい、そして認めて欲しい」
自分の音楽が認められてそれで生活できる人は楽しいのだと思います。

でもね・・・・実際は・・・ね。
そんなに楽しくない、いや、それどころか辛い日々の方が多かったりします。
夢に見ていた職業に就けた、あるいは自分の好きな道に進んだのに
どうして毎日楽しいことよりも辛いことの方が多いんだろう。

「清原さんのような存在感のある4番バッターになりたいです。」
そういって夢だったプロ野球の世界に入れた人でも
ずっと2軍暮らしで1軍に上がれなかったら辛いのかもしれません。

流行り廃りの世界なので浮き沈みは当たり前のことなんだけど
自分の音楽で長者番付に乗るほどまで売れてしまうと
「過去の人」になるのはすごく辛い事なのかもしれません。

好きな道に進めたのは本当にラッキーなことなのに
その場にいることがいつの間にか当たり前になってしまって
「楽しいこと」よりも「苦悩」の方をたくさん感じ取ってしまうのかもしれません。
一度でも栄光の時代を経験したのはラッキーな事なのに
もてはやされなくなってしまうと、売れていた時代の生活が基準になるので
著作権を2重に販売してしまうのかも知れません。

こんなこと書いている僕だってそうかもしれません。
自分で自信の持てる商品を必死で探して、
それがお客様に喜んでいただけたり、褒めてもらったりすると
その時は本当に素直に嬉しいはずなのに、
うまくいかないことの苦悩が自分の頭の中を支配して
辛い、苦しい気持ちになってしまう。

「こんな商売いつまでやって行けるんだろう?」
「将来どうなるんだろう?」
という不安を毎日感じていたのがほんの10年前。
ところがある程度この世界で年数を過ごしていると
今、仕事を戴けているのが本当はすごく感謝しなければいけない事なのに
うまくいかない事があると、ちょっと不幸な気持ちになってしまう。
人間が離れて行ったりするとすごく辛くなってしまう。

幸せの基準が高くなっているんやと思います。

ちょっと考え直さなければいけない時期に来ているのかもしれません。
僕だって他人から見れば、もしかしたら、いい人生なのかもしれません。
好きな仕事して、ソフトやって生きていけるだけでも幸せなことなのかもしれません。

明日からまわりの出来事やまわりの人達に今よりももっと感謝して生きてみようか?

今日はテレビの2大ニュースを見てそんなことを考えました。