家族

昨晩は夜中にチュウケンが目を開けて動いている夢を見た。
夢の中で(ああ、これは夢や)と言うことが分かっていたのだが
そのうち、(あれ?ほんまに動いているやん)と思って
「おい!」と2階で寝ている嫁を呼んだ夢を見た。
でも、どうも最後の「おい!」は実際に声を出してしまったようだ。
なぜか、実際に声を出したことが自分でも分かっているという不思議な夢だった。
目を覚ますと、やはりチュウケンは目をつぶったまま静かに横たわっていた。
体に触れてみるとその体温は感じられず、すでに死後硬直が始まっていた。

本日、15時、チュウケンは家原寺愛顧院にて荼毘に付されました。
家を出る時にチュウケンが好きだったそれぞれの場所を見せてあげた。
ペット葬というほど大げさなものもしたくなかったので
火葬だけをして骨を持って帰る予定でこのお寺を選んだのだが、
簡易ではあるけれど、お経を上げてくれ、
火葬場で僕と嫁と娘に最後のお別れをさせてくれた。

火葬場の扉が閉められるのをやりきれない思いで見ながら火葬場の外へでた。
嫁はもう、普通に歩くことも侭ならなかった。
チュウケンが天国に旅立っているのであろう煙突の煙を呆然と見つめていた。

1時間半ほど経って火葬場に戻った。
今度は学校から帰ってきた息子が一緒に行った。
小さな骨の残骸になったチュウケンをなるべく残さないように骨壷に入れた。
火葬場から駐車場に歩く道のり息子はこのとき初めて大泣きをした。

庭に埋めるために骨を持って帰ってきた。
そして「実のなる木を植えよう」ということで金柑の木を買ってきた。
忘れることなくこの木をみんなで大事に育てよう。
そして金柑の実がなったらみんなでチュウケンの楽しい思い出話に花を咲かそう。

泣き虫の息子は今回の件ではあまり泣かなかった。
ただ、火葬場にも同行しようとはしなかった。
チュウケンのことを物凄く可愛がっていた息子だったので
悲しみを悲しみとして直視しようとしないその姿には子供らしさを感じた。
でも、今日の夜の息子の態度を見ていると、
単に悲しみを自覚したくないがための行動ではない事に気がついた。

普段よりも陽気で一生懸命、嫁を笑わそうとしているのである。
「どうにかなってしまうのではないか」というぐらい憔悴しきっている嫁を見て
本当は自分も泣きたいはずなのに、一生懸命我慢して
嫁を元気付けようとしているのである。

この息子の態度を見てあることを思った。
「家族を大切にする」っていうことはどういうことなんやろう?と思った。
ちょうど、昨日の夜、今日の昼にそんなことを話していたからだ。
息子は息子なりに憔悴しきった嫁を気遣って
(俺は元気やで、大丈夫やで、だからママも元気出してや)
という気持ちで嫁を元気付けようとしていたのかも知れない。
自分までが落ち込んだらママがもっと元気がなくなるのが分かっているから。
自分までが落ち込んだら家族全体が悲しみに覆われるのが分かっているから。
彼の態度を見ていると「子供」から「男」に成長していくのを感じざるを得なかった。

今日は嫁が晩御飯を作る気力がなかったので仕事の帰りに牛丼を買ってきた。
娘と僕は並盛を食べた。
嫁は食欲がないのか並盛を半分残した。
でも、5年生の息子はメガ牛丼(お肉は並の3倍、ご飯は大盛り)を完食
ほんまにお前はナイスガイや
チュウケンが一番大好きだったママを元気付けようとしているその姿、
お父さんはかなり感動したで。
よし、君を見習って明日からは俺もいつも通りのお父さんに戻るで