やっぱりこの日は命の大切さを感じてしまうのです。

23年前の1月17日5:50、堺市内のマンションに住んでいる僕も大きな揺れで目を覚ました。
「これはただ事ではない」
たまたまその日は嫁と子供は実家に帰っていた。
やっと通じた電話の向こうから無事を知らせる声。

ほとっと胸を撫でおろしたのもつかの間、テレビを見ると壊滅的な神戸の街の姿。
神戸の知り合い数人に電話かけるも、繋がらず。
ニュースで次々に流れてくる被害の状況。

そして数日たって、いてもたっても居られず、
仲間とトラックに水と物質積んで神戸に走った。

2号線は停滞、ドライバーも停止のたびに寝ている。
あちこちで居眠り運転の車との接触事故が起こっている。
でも、そんなこと後の話や。
みんな消息が分からない自分の家族を探し求めて走る。

住宅街に入ると「爆弾でも落ちたんか」と思うほど、
木造の家が「ペチャンコ」じゃなくて「粉々」になっている。
これは一瞬でつぶれた証拠。
早朝、まだはっきりと目も覚めていない中で、冷静に避難できるわけがない。

あちこちで家族を探す人の声。
「自分は無事だったけど家族がどこにいるか分からない」
こんな声をあの壊滅的な状況の中であちこちで聞いた。
あの時にみんなが第一に考えていたのが、大切な人の命。
生きたくっても生きられなかった人、
大切な人と思いもかけず、別れなければならなかった人、
「起こったら一番いやな事」
が、起こってしまった。

あれから23年・・・
我々は「命の大切さ」を忘れてへんやろうか?
大切な人と突然離れ離れになる可能性を忘れてへんやろうか?

飲酒運転
スマホいじりながらの運転

そればかりでなく、今は自分の子供を傷つけて命を奪う人までいる。
本当は一番愛されて当然の人に、毎日傷つけられて、
そしてしまいに命を奪われる子供。

起こったら一番いやなことは何ですか?

「命の大切さ」を忘れんといてください。
我々はたまたま、偶然この世に生まれて、そして大勢の人のおかげで生きている。
そのことを忘れんといてください。

でも、いつかは死ぬ。
その「いつか」は「いつなのか」想像もつかんけど、それまで生きよう。

今日、朝を迎えたってことは一日、生きられる日が減った。

「毎日を一生懸命」とかまではよう言わんけど、毎日生きられることが「幸せ」なことなのです。