猫ばあ

猫ばあ見っけた。
猫ばあは毎日、隣のケンタッキーフライドチキンに
毎晩九時半頃にノラ猫の餌をやりに来る。
良い人なのか悪い人なのかというと、
ノラ猫に私財を打って餌をあげるぐらいなのだろうから
おそらく良い人に違いない。

ところが、この餌を上げる行為。
人間だけが迷惑するどころか、
猫達のためにもなっていないかもしれない。

植え込みに生魚などの餌をまき散らかされるケンタッキー、
毎日、悪臭が漂い、植え込みには野良猫の糞だらけ。
そして隣に位置するTAX泉北。
お店の中を猫が縦横無尽に歩き回り、
巻き散らかす糞だけならまだしも、
事故の可能性もあるので、もしそんなことになったら
かわいそうで仕方がない。

まあ、この2つに関しては人間が我慢すればいいこと。
問題は猫ばあが餌を与える行為そのものにある。
僕だって動物が大好きだ。
腹を空かせた野良犬や野良猫がいれば
自分の食べ物でさえも与えたくなる。

ただ、この行為、人間の自己満足以外の何者でもなく、
一旦、人間から餌を与えら得られることを覚えた猫は
自分で餌を探すよりも、
人間から餌をもらうことを待つようになるらしい。

昨日、猫ばあが隣のケンタッキーの植え込みに
生の魚10数匹を巻き散らかす現場に出くわしたので
思い切って声をかけてみた。
僕「すいません、いつも猫に餌を与えているようですが
周りの人の迷惑を考えたことはないのですか?」
猫ばあ「そうなのよ、
猫は自分で餌を得られなくなったから迷惑だわねえ」
僕「いやいや、猫はこの界隈に糞を巻き散らかすし、
余った餌はあたりに悪臭をまき散らかしてますよ」
猫ばあ「この猫ちゃんたちはそんなことはしないはずよ」
僕「いや、実際にうちは迷惑してますよ」
猫ばあ「お宅のお店には餌は置いてないですよ」
(うそばっかし、先日もうちの展示車の下にえさ置いてたやん)
僕「まあ、とにかく、猫も自分で餌を探せなくなるし、
ずっと餌を与えられるわけではないでしょ?」
猫ばあ「そうなのよ、一生与えられるわけはないし、
そこが問題なのよね」
僕「いや、そういう問題じゃなくて、
ずっとこの猫達の面倒を見られるわけではないのだったら
中途半端に関ったら、猫達のためにもならないし、
近隣も猫を迷惑な存在としか見られなくなりますよ。
そこまでこの猫達が可愛いなら、
ご自宅の前で餌を与えれば?」
猫ばあ「うちはすでに飼ってるのよ、
こんなにたくさんは無理だわ」
僕「なら、ここの周りの人たちに
迷惑がかかってもいいのですか?」
猫ばあ「こんなに可愛い猫ちゃんたちが迷惑だと?
可愛そうに・・・・」

なんか話をしていると
だんだんとこちらが間違っているような気が・・・?
いやいや、そんなことはない。
実際にうちの店の近所は車の通りがメチャクチャに多い。
そこで犠牲になる動物も後を絶たない。
また、獣医さんに言わせると、
一生、猫の面倒を見られるならともかく、
そうでないなら、
習慣になるような餌の与え方は人間の自己満足。
猫のためにはなっていないようだ。

僕も動物が好きだ。
食べ物を与えたい気持ちも分かる。
動物に食べ物を与える心やさしい人と対決はしたくない。
でも、それ以上に交通事故で死ぬ猫を見るのは忍びない。
野生?の動物が都会で人間と共存するのは難しい。
むしろ、その猫達のために餌を与える人がいるのを見ると
この世知辛い世の中で、ほっとする光景でもあるのだが
やっぱり、死んだら可哀想やな。
どうしたらええのかな?